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ここはメゾン狂愛。
そして私は、その管理人。
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朝。
入口の清掃をしようと家を出ると、ポストの中身を確認している1階の守村さんに出会った。

「おはようございます、管理人さん」
さわやかに笑う彼は自衛官らしく、制服姿が朝日に眩しい。

「管理人さんは毎朝早いですね。今朝もお掃除ですか」
私はそう言う守村さんこそ朝が早いと思う。
自衛官の人はみんなそうなのかな、わからないけど。
というかそもそも、自衛官って寮とか宿舎があった気がする。
なのにどうして守村さんはここに住んでいるんだろう。
前に守村さんにそれを聞いたら、とてもきれいな笑顔で「その理由は秘密です」との返答がきた。だから結局、彼がどうしてここに住むことに決めたのか、私は知らない。

「ところで、さっきまで光太郎の部屋が騒がしかったんですが……」
光太郎、とは1階の大学生、滝澤光太郎さんのことだろう。
守村さんは滝澤さんの大学のOBらしく、2人はそこそこの交流がある。
守村さんが二十代後半だから、結構歳の開きはあるのだけど、縦のつながりが強い大学なんだとか。

「誰か連れ込んでるのかな。管理人さんは、何か聞いてますか」
と、そう言う守村さんの後ろで、滝澤さんの部屋のドアが開いた。

「あ、光太郎」
よろよろと滝澤さんが部屋から出てくる。……いつにもましてボロボロだ。

「光太郎、おまえまた徹夜してたのか」
呆れたように言う守村さんに、ゆらりと濁った眼を滝澤さんが向けた。

「……3徹だ」

「は?」

「ただの徹夜じゃない。3徹目だ……」

「……ああ、そうなんだ」

「超コミに間に合うかどうかの瀬戸際なんだ……!
オレが一線を越えられるかどうかの!!」
超コミってなんだっけ。
と思った私に、守村さんが小さく耳打ちする。

「漫画同人誌の即売会ですよ。夏と冬が一番大きくて、
次がその超コミだかなんだか……それに出す本を作ってるんです、こいつ」

「今日明日にはネームを終わらさないと間に合わない、なのに……っ!!」
血走った目で滝澤さんがうめいて、がりがりと頭をかいた。
修羅場中というと、不眠不休、食事なしお風呂なしというイメージがあったのだけど、滝澤さんは小ざっぱりした作務衣姿で髪もサラサラだ。修羅場中は眠気覚ましのために一日何度もシャワーを浴びると言っていたから、そのせいなんだろう。でも。

「……服にトーンカスがすごいなあ……
最近の漫画家ってのはパソコンで描くんじゃないのか」
守村さんの呟きに、滝澤さんはふんと顔をそらした。

「オレはデジタルは嫌いなんですよ、先輩。
やはり人の手で1本1本の線を引き、
1枚1枚トーンを貼ってこそ人の心に突き刺さる作品がですね」

「それはいいんだけどおまえ、大学行ってるのか?
それにいつまで同人やってるんだ。
超大手と呼ばれて久しいと聞いてるけど、プロにはならないのか」

「商業誌から声はうるさいくらいかかってますよ」

「だったら」

「商業誌は嫌いだ。商業主義はオレのもっとも嫌悪するものです」

「おまえ嫌いなもの多くて大変だな……」

「ただ……」

「ただ?」

「今回は、壁を越えなくてはいけなくて……」

「壁?」
突然歯切れが悪くなった滝澤さんに、守村さんは首を傾げた。滝澤さんは息を吐く。

「……オレは、ずっとオリジナルの作品を書いてきました。
日常系ほのぼの4コマやすこしふしぎな小学生主人公もの、
さらには世紀末を拳で乗り越え宿命の戦いを勝ち進んでいく、
そんな孤高の作品を……!」

「いや、それはともかく大学行った方が」

「ですが、……オレは、……ある題材からは逃げ続けてきました。
いえ、どうしてもそこに着手ができなくて、目を逸らしてきたんだ……!?」

「……一応義理で聞くが、その題材とは?」

「……恋愛もの……具体的に言えば、エロです」

「は?」

「エロス……! 性愛! 心と体の交歓……!!!
オレは今まで経験不足がゆえに、
同人界ではかなりの要素を占めるそれを描けずに来た……!!」

「あ、管理人さん、掃除の時間ですよね。
ちりとりくらい手伝うので、行きましょう」

「そういうわけだから!! ……管理人さん」
滝澤さんはがしっと私のほうきをつかんだ。まっすぐにこちらを見つめてくる。

「どうか、オレの作品作りに協」

「黙れ童貞!!!」
スパーン!! 
「だっ!!」
守村さんが手に持っていたダイレクトメールの束で顔をはたかれた滝澤さんは、顔を抑えてのけぞった。

「……何をどう協力させるつもりか言ってみろ。
ことと次第によってはここで粛清する」
そう言って滝澤さんの襟首をつかみあげる守村さんは、軍人めいた気迫に満ちていてちょっと怖い。

「そんな、い、言えるわけないじゃないか、破廉恥な……!」

「言えないようなことをさせるつもりか!?」

「だってオレは初めては好きな人がいいんだ!!」

「おまえとんでもない流れで色んなことを告白してるがそれはいいのか」
と、その時。
カンカンカン、と2階から誰かが下りてくる足音が響いてきた。

「……朝っぱらから、何を大声を出してるんですか」
降りてきたのは2階の住人、霧生雪乃助さんだった。
ダークスーツに通勤鞄を手にした姿は、いかにもできるサラリーマンと言った印象を受ける。

「ああ、霧生君おはよう。ごめん、うるさかったかな」
守村さんは滝澤さんの襟をつかんでいた両手を離した。滝澤さんは苦しかったのか、むせ返っている。

「いや、別にそれほどでもないですが……守村さんは今からですか」

「違うよ、さっき帰ってきたところ。夜勤でね。
霧生君、出勤にしては早くない?」

「朝イチで別件の打ち合わせがあるので」

「別件」

「プロデューサーから呼び出しがあったんです」
霧生さんはとある企業に努めている、普通のサラリーマンだ。……表向きは。
でも、もう一つの顔は……。

「管理人さん」
霧生さんは鞄から一枚の紙を取り出した。私の方にすっと差し出す。

「……新作です。読んでください」
好き好き大好き♪ あなたが好き♪
胸がドキドキ☆ 明日も会えるかな
非常階段ですれ違ったの あなたと私
髪が風になびいてほほに触れて ときめきが止まらない
駆け出したミュールのかかとが 小さくふるえて
あなたを想うと 羽が生えて ほら 空に舞い上がる
あなたが☆すき♪
いつでも☆すき♪
ずっとずっと☆あなただけを見てるから
いつか わたしに 甘い LOVE!!

「「…………」」
紙を覗きこんだ滝澤さんと守村さんが黙り込む。
霧生さんは真顔のまま、ふっと視線を逸らした。

「……今日収録で、来月発表なんです。あなたを想って書きました」

「いやでもこれ明らかに女の子視点だよね?」

「霧生さんは女性アイドルグループの作詞家だから、
商品としてはこれで間違ってない……のか?」

「サビの部分の『すき』だけひらがなのところがポイントなんです。
他の誰にも伝わらなくていいんだ。管理人さん、あなただけがわかってくれたら……」
霧生さんは作詞家だ。
人気アイドルユニットの歌詞を一手に引き受ける、超売れっ子ライター……らしい。
ただあまりに霧生さんが書く歌詞と本人のギャップがすご過ぎて、ちょっと悩むけど。

「ところで守村さん。少しご相談したいことが」

「相談? なんでしょうか」

「……隣りの部屋から、夜中に不審な物音が聞こえてきたんです」

「……不審な物音」
霧生さんの言葉に、守村さんが眉を潜めた。滝澤さんは2階をふり仰ぐ。

「隣というと、逢坂先生」

「ですよね、逢坂さんが何か?」

「何をしているかはわかりません。
ただ、ギリギリと何かで穴を開けるような音が」

「……? ……あ!!」
はっとした守村さんが、私を振り向いた。

「管理人さん、部屋に入ってもよろしいですか」
鬼気迫るその様子に頷くと、守村さんは私の部屋の扉を開け、もどかしく中に飛び込む。
部屋の片隅から天井に視線を這わせ、そして、

「……これか!」
と小さく声を上げた。
守村さんは振り向き、玄関に待機している私や霧生さんに声を出さないよう口に指を当て指示すると、胸ポケットから小さな何かを取り出す。
それは小型のLEDライトで、守村さんは部屋の隅の方から手を伸ばし、点灯させたライトを、天井のある一点に強く押し当てる。……と。

『うわっ!!』
くぐもった叫びが、上の階から聞こえてきた。

「やっぱり……!!」
ギリ、と歯を噛みしめた守村さんは、身を翻して部屋を飛び出した。

「守村さん!?」

「先輩!?」
守村さんはそれに構わず、階段を駆け上がっていく。
そして守村さんに追いついた私たちが逢坂さんの部屋で見たのは。

「あいたたた……ひどいなあ、背中を蹴ることないじゃないか。
それにLEDライトで直撃なんて、目がダメになったらどうするつもりだい?」

「やっぱり覗いてたんですね、あなたという人は……!!」
痛そうに背を押さえつつ笑う逢坂さんと、肩で息をする守村さんだった。

「これは……」
後から踏み込んできた霧生さんが、本で埋もれた部屋の中の、そこだけ綺麗に片付けられた一角に目を留め、眉を潜める。
滝澤さんが霧生さんの横を通り過ぎてその一角に膝をつき、床を撫でた。

「穴が開いてる。ごく小さい、1センチ以下のものだけど」

「……穴。逢坂、あんたまさか」
全員の視線を受けて、小説家の逢坂先生はけだるげに笑った。

「屋根裏の散歩者という話があるだろう? そこからもわかるように、
作家にとって覗きとは探究心やフェティシズムを充足させる最高の手段の一つで」

「おい誰か通報」

「こういう時って110番でいいんだったか」

「いや、待った」
携帯を取り出した霧生さんを、滝澤さんが制した。

「……これは……違うな、下まで完全に突き抜けてない」

「え?」

「ほら、見てください」
手招きされた霧生さんが、怪訝そうに床に目を近づける。

「……確かに……かろうじて光が漏れてくるくらいで、何も見えないな……」

「天井と床の間の板って結構厚いし、
断熱材が入ってるからそう簡単に突き抜けないんだと思う」

「じゃあなんで覗いてたんだ」

「……君たちは無粋だなあ」
再び全員の視線を一身に受けて、逢坂先生は薄く笑う。
この人はいつも薄く笑っているのだけど、今はどうも皆から軽蔑され糾弾されていることを愉しんでるみたいだ。

「別に私は本当に彼女の私生活を覗き見したいわけじゃないんだよ。
ただその床に穴をあけて、彼女を思いながらその穴を覗くことに歓びを感じているんだ。
その行為そのものが目的なのだから、見えようが見えまいが、それは関係がないんだよ」

「ちょっと誰かこの逢坂先生の言葉、
理解できるように説明してくれないかな」

「理解できたら終わりでしょう。……滝澤君、君の部屋にパテはあるかな」

「ありますよ、これ塞いでおきます。
ていうかちょっとホームセンター行って穴が開かない鉄の合板買って来た方がいいな。
床に全面敷いて釘打ちしましょう」

「えっ、ひどいなあ。そこまですることないのに……」



「「「黙れド変態!!」」」
逢坂さん自身のお仕置き?は霧生さんが、逢坂さんの部屋の方は滝澤さんが処理するというので、私と守村さんは逢坂さんの部屋を出た。
去り際、

「ええーいやだなぁ、
霧生君本当に怖いんだから彼にお仕置き任せないでよ」
という切なそうな声が聞こえたから少し気になったのだけど、霧生さんが問答無用で逢坂さんを自分の部屋に引きずって行った。霧生さん、今日のお仕事はどうするつもりなんだろう。

「仕事は行くんじゃないでしょうか。
大丈夫ですよ、霧生君の部屋には監禁用のスペースがあるから」
守村さんはそう笑って、私の部屋にまた戻ってきた。天井にかすかに開いている穴を補修してくれるらしい。

「……穴自体は大したことないから、すぐ塞げそうですね。
ただ見た目に綺麗にするには少し手間かもしれません。
管理人さん、この修理費は後で逢坂先生に請求してください」
守村さんは天井に手を当てて、穴を確認している。そうして息を吐いた。

「しかし、本当に……ここに越してきてよかったな。
最初はいくらんでもちょっと心配しすぎかとは思ったのですけど。
……でも、どうしてもあなたを一人にしておけなかったから」
その言葉に私は首をかしげる。……私はここに越してくるまで、守村さんのことは知らなかった。
守村さんは私を知っていたんだろうか?
そう問いかけると、守村さんは微かに笑った。

「……私が以前からあなたを知っていたかどうか、ですか?」
優美な笑みが、こちらに向けられる。

「……それは聞かない方がいいですよ。聞くと」
――――怖くなっちゃいますからね。
そう囁いて、守村さんは天井の穴をすうっと撫でた。
【END】
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